夏を感じて

3週間前、台湾の友人が沖縄に遊びに来た。私の別HN"suzuqi22nd"の名付け親である友人だ。とは言え立派な交換留学生として来ているわけだから、遊びにと言うと叱られるかもしれない。今日は明日30日に帰国する彼らのために、学校主催の沖縄南部を訪ねるバスツアーがあった。周囲が受験勉強に励んでいる中1人だけ(まあ実際2人だが)真夏の沖縄を堪能するのは躊躇われたが、せっかく国境を越えて来ているのだからと思い、私も参加することにした。

私は去年も同様のツアーに参加した。去年のそれは首里城玉泉洞〜知念さんさんビーチだったが、今年は首里城糸満市摩文仁平和祈念公園へと変更されていた。平和祈念公園とは、文字通り先の大戦で亡くなった御霊を慰めるための公園である。園内には、平和祈念資料館や戦没者名が刻銘された礎などがある。実は最後にそこを訪れたのは何年前だったかよく覚えていない。恐らく小学生だったと思うから、かれこれ6年以上はたっているはずだが。
久しぶりに訪れた公園は相変わらず、と言うのか、静かな佇まいを呈していた。眼前に広がる断崖、その向こうの海は、最後に訪れたときのそれと変わっていなかった。
台湾の友人に説明しながら、礎の間をぬって歩く。私の英語力不足にもあるのだろうが、彼らの顔は何やら釈然としないものに見えた。そして時折場違いな、不用意な笑みを見せる。また、彼らは、青森県の、りんごをかたどった碑を見て大受けしていた。そしてその碑の前でポーズをとって写真に収めていた。今思うと、彼らはその礎を、その碑を、この公園の意義を解していなかったんだと思う。が、仕方ないことかもしれないし、それで彼らを責めることはできない。
一通り園内を歩いたあと摩文仁の丘に立つ。そこから見える景色は、ただ打ち寄せる白い波頭、穏やかな潮の流れ、一点の曇りもない澄み渡った空。60年前ここから見えた景色もまた、同じものだったのだろうか。いや景色は同じものでも、人々の精神状態は私たちのそれと背反したものだったのだろう。そう思うと、今何の恐怖とも混乱とも無縁で純粋に景色を楽しむ余裕のある自分が、申し訳ないような気がした。

少々センチメンタルになりつつも公園をあとにし、次に向かったのは玉泉洞。沖縄の歴史・文化・自然・食を満喫することが出来るという商業主義に走った欲張りなテーマパークだ。自由時間が短すぎて結局どこも楽しめなかったという去年の事例があるため、あまり期待していなかった。しかし本当に楽しめないとは。今年もまた自由時間の短さに起因する。タイムスケジュールというものがあるからどうしようもないんだけど、でも高い入場料(学校側が出してくれるから実質タダ)払ったのに1時間弱しかいないってのは。どうも納得がいかない。


ほぼ参加者全員が一番期待していただろう海。総勢50名余りの大所帯で巡っていたが、このときが皆、一番楽しそうに見えた気がする。実際私も1年ぶりの海に心が躍った。
長いこと沖縄県民を務め沖縄の海を見て育った私にとって「青い海が当たり前」というのは、当たり前田のクラッカー並みの"常識"になっている。海とは青いものだと。だから沖縄の海はきれいだねと言われても、しっくりこないというのが実情である。しかし1年ぶりの海ということもあり、コバルトーブルーの色をした水面がとても美しく見えた。台湾の友人曰く「沖縄の海はー、きれいネー。空もー、青いしー、とてもー、きれいデスネー」。高評価を頂いた。
ちょうど昼時、昼食の時間。BBQを楽しんだ。五感〜視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚〜をフルに活用するBBQは海にふさわしい。このときばかりは、XではなくDA PUMP"Rhapsody in Blue"やケミストリー"Mirage in blue"が心を流れるBGMとなる。"終わらーない夏 君が変わぁったー♪"いいねぇー。底抜けに明るく、清涼感溢れた夏をイメージさせる。
だが実際はどうかと言うと清涼感なんて明後日の方向にとんでいる。私も含めた女子は全員、滴る汗と格闘しながら、日焼け止めの塗り直しに奮闘していたのだから。遠目にも見苦しいばかりだ。
砂浜でのサッカーは楽しかった。台湾チームと沖縄チームに分かれてのミニゲーム。砂に足をとられながらの、汗を流しながらの、途中敵味方の区別がなくなった滅茶苦茶なサッカーだったが、同じ条件下でボールを追うということがこんなに心地よいものだとは。
台湾の友人が言う、「たのーしぃ、デスネ?」「うん、楽しいね。ねえ、来年もおいでよ沖縄に。また遊ぼう?」「いいネーそれいいデスネー!またキマスよー」


帰りの車内は、それまでの喧騒が嘘かのように静まりかえっていた。私は何だか勿体無くてずっと起きていた。周囲は寝静まっていたが、それでも構わなかった。この興奮が冷めるのが、厭だったから。