人間には波長がある。それは人それぞれ違う。
同じものを見て同じ気持ちになれたら、それは幸運と言えるかもしれない。
共感できないことが、決して不運だと言うわけじゃない。それなら人生不運続きだ。
やっぱり、同じ、もしくはよく似た価値観を持つ人間と巡り合えるのは、幸運と言えよう。

共感しよう、共感しようと努力しても、「共感の対象」や「共感の仕方」が間違っていれば相手に解されることはない。そうでなくとも、「私はあなたに共感していますよ」という表現を誤れば正しく解されることはない。誤解の発生を招く。

・・共感しにくいからこそ、社会は難しいんだろう。残念だ。