母親のいない日常=非日常

これだけ読むとマザコンみたいだが、でも事実だ。母親のいない日常、非日常が日曜まで続く。とうとう石垣島へと帰ってしまった。
下校しながら考えたのは「さて、昼食どうしよう」。昼食に限らず夕食も心配ではあるんだけどね・・。18にもなって食事もろくに作れないっていうのはちとやばいんだろうなあ。



炊事は賢さを要求する高尚な作業だと思う。頭を使う。洗濯やアイロンがけなどは力任せで出来るような節があるが、炊事はそうじゃないから苦手だ。母親は常々言う、「あんた女の子でしょ?あたしは、多少勉強が出来なくてもいいから女の子には料理が出来て欲しいのよ。勉強ができなくても料理出来る子の方が絶対いい」。既に勉強が出来なくてもがいている私に何を要求するかーと反論すれば「だからせめて料理くらい出来ないとだめなのよ!見てごらん他の子はお菓子作ったり弁当作ったりしてるさ。やろうとしないから出来ないのよ!」と間髪入れず一喝される。まあ、確かに料理できる子の方がよっぽどいい。細木数子も女は料理が出来て一人前って言ってたしな。。(彼女の考えは共感できるものが多いです。田嶋陽子と折り合い悪そうだけどね)そう思ってたまーにスパゲティーをこしらえてみたりするけど、所詮マニュアル通りしか出来ない人間だ。レシピが無ければ何も出来ない。悲しい限り。



母親がいない生活は、つまり父親と小6の妹との生活を意味する。うつ、いや本当に鬱だ。私は父親が大嫌い。父親の前に人間であるが、人間としても大嫌い。だがどんなに嫌おうと三兄妹の中で一番私が彼の血をひいているというのは動かせない事実だ。親戚縁者からは「○○ちゃんはお父さん方に似たわねー」とよく言われる。母親にも。私自身そこまで似ていないだろうと思うのだが、上と下は完全に母親似、母親顔であることを考えるとやっぱり私は父親似なのだ。だから余計に嫌になる。(変なところで父親に似ていない。父親は驚くほど色白だ。私は父親に最も近い存在でありながら色黒で(それでも人と比べれば白い方だが)毛深く、髪の毛も直毛でない。文字通り"劣性"だ。上と下は信じられないほど真逆)
母親が緩衝材となってくれるからやっていけるんであって、いないと父親の醜い面ともろに接してしまう。神経がかなりまいってしまう・・。本当、東京にでも現実逃避しに行きたいよ。