東京への憧憬

東京に対し、私が強い憧れを抱き始めたのは中二の春休みからだと思う。
当時、とある授賞式に出席するために、最終便で羽田に降り立った私は、モノレールと電車、そしてタクシーを使い、目的地へと向かっていた。

タクシーはともかくとしても、「モノレール」「電車」は私にとってこの上なく魅力的な交通手段に見えた。と、いうのも、その当時、私の県にはその両方とも存在していなかったからである。今はモノレールこそ走っているけども、当時は建設中だった。
別にこれが初めての東京、初めてのモノレール乗車というわけでもなかったのだけども、何故だろう、地上十数メートルから見る車の列や辺り一帯輝くネオンや、とても地元では拝めない高層建築物やらが、ほんの数秒の間で通り過ぎ、通り過ぎていく様子に陶酔してしまった。上京したんだという興奮に花を添えてくれた。(余計)
普段利用するひとにとっては、当たり前であって当たり前の風景が広がっているに違いないだろうが、そこが私にとってはとても新鮮だった。リズミカルに流れるゴトンゴトン、の音。掴まれるべくしてぶら下がってある手すり。停車駅を知らせる場内アナウンス。改札口を通る時のもたつき。(もちろん私だけ)全てが地元では体験できない貴重なものだった。

今となってこそモノレール開通のおかげで(田舎特有の平凡な街並みを眼下に、という要素こそ多少マイナスではあるが)私が感動したそのほとんどは当地実現可能、となった。時折ゴトンゴトンと揺れ、アナウンスも流れる。もちろん改札口も。しかし中二当時の私にとっては、「東京で」乗った「モノレール」は相当の刺激があったようだ。実際4年たった今も、地元のモノレールとの格差をひしひし感じてしまう。何かが違うのだ。モノレールの持つ性能や目的にそう違いはないはずなのに、やはりあの景色の不足(だけ)にあるのだろうか。だとするとその不足を補う「東京」の力には不思議と憧れを抱いてしまう。
モノレールから始まった、東京に対する憧れに変わりはない。それがまた寂しくもあり、悲しくもあるのだけど。